2012年 01月 14日
可能性が現実になったのだ。 Gレーザーです。
今日の出来事探ネ

独創性というものの習得について。
自分は独創性というものを、「他に類を見ない、自分だけのもの」と考えています。
他人にはないもの。単純ですが、それが独創性だと思っています。
そしてそれは、自分が渇望してやまないものでもあります。
偵噛
では独創性を身に付けるには?
今まで自分は、「他者を模倣しないこと」こそ最良と考えました。
他人の真似をしなければ、それはすなわち自分だけのものになるという理論です。
なので自分は、模倣しないことを信条としてきました。
インターネットに数あるお絵描き講座を「他人の猿真似」だと侮蔑して、
周りにある秀麗な作品を「模倣に毒される」と断ち切って、
自分なりの方法で、絵を描こうと考えました。
ただ自己流を貫くことこそが、独創性を培うものだと信じていたのです。
しかし、それも限界を感じてきてしまいました。
というのも、自己流は当然ながら、自分だけしか実践する人がいません。
実践する者が己だけならば、その理論を観察し批評する者も己だけです。
つまり、「自己流の欠点・改善点」を見つけられる者も己だけなのです。
自分自身で自分を批評する。これを言葉通り実行できる人はなかなかいません。
少なくとも、自分はそうでした。描きあげた稚拙な絵に自惚れていました。
いわく、「これは俺にしかない作品だ」と。
自分で描いた絵を自分で褒める。なんと惨めな。
去年。自分の絵は稚拙なものだと思い知らされました。
「上手くはないけど、下手じゃない。絵の体裁はある」と自負していた力を、
「基本ができていない」と先生に一蹴されました。悔しかったです。
この日から初めて、デッサンの授業を通して「絵を描く」ということを学びました。
美しい絵を描くためには、直線と曲線を上手く引けること。
直線をきれいに引くには、手首を動かさず肘を動かすこと。
他にも、線を重ねていくことで影を表現する、ハッチングという技法。
模写で大切なのは肉眼ではなく、鉛筆等を用いた計測。
そういった、高校生でも理解している基礎を、大学生になってようやく知ったわけです。
脳
そういった過程を経た自分の絵は、
自分で言うのもおかしなことですが、少しばかり上達したように思えました。
肉眼で見たままを闇雲に写し取る方法では辿りつけなかった境目を、
基本の習得によって、いとも容易く跳び越えられたのは不思議なものです。
そこで初めて気づいたのは、今更ながら、「他者の模倣は悪くない」ということです。
かつては模倣を「他者に毒される唾棄すべき方法」と考えていたのですが、逆です。
模倣は、「他者の良い部分を取り入れられる、上達への近道」です。
他人が苦心して編み出し体系化した方法を、苦もなくいただいて、取り入れる。
それが上達の助けにならないはずがありません。
それでは独創性が死ぬのでは? 違います。
取り入れた方法を自分の中で融かし、そして融かしきったならば、
今度はその方法を自分なりにアレンジし、脱却してみる。
これこそが独創性の種となるものです。
しばしば言われていますが、「型を熟知しているからこそ型を破れる」のです。
今まで自分はその重い事実を、戯れ言だとして軽視してきました。
ILL-BOSSTINOも初期は、ラップの基本を踏襲していました。
岡本太郎も初期は、超現実ながらも写実的な絵画を残しています。
(彼は子供の描く、デフォルメや模倣のない絵こそ芸術であると主張していますが)
その他多くの人も、まずは基礎を十分に踏み固めて、
その後自分なりにその脱却を図って、独創性を作り上げました。
独創性は、他者と断絶すれば培われるものではありません。
なるべく多くの他者と交わり、数々の理論を消化し、そして脱却することで培われる。
今は、独創性というものの習得方法をそう考えています。
魔ロ
▲▽▲▽▲▽▲▽▲
Today's Word
▲▽▲▽▲▽▲▽▲
人ウ
「あらゆるものが一個の全体を織り成している。
ひとつひとつが互いに生きて働いている」
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
それでは。
今日の出来事探ネ

自分は独創性というものを、「他に類を見ない、自分だけのもの」と考えています。
他人にはないもの。単純ですが、それが独創性だと思っています。
そしてそれは、自分が渇望してやまないものでもあります。
偵噛
では独創性を身に付けるには?
今まで自分は、「他者を模倣しないこと」こそ最良と考えました。
他人の真似をしなければ、それはすなわち自分だけのものになるという理論です。
なので自分は、模倣しないことを信条としてきました。
インターネットに数あるお絵描き講座を「他人の猿真似」だと侮蔑して、
周りにある秀麗な作品を「模倣に毒される」と断ち切って、
自分なりの方法で、絵を描こうと考えました。
ただ自己流を貫くことこそが、独創性を培うものだと信じていたのです。
しかし、それも限界を感じてきてしまいました。
というのも、自己流は当然ながら、自分だけしか実践する人がいません。
実践する者が己だけならば、その理論を観察し批評する者も己だけです。
つまり、「自己流の欠点・改善点」を見つけられる者も己だけなのです。
自分自身で自分を批評する。これを言葉通り実行できる人はなかなかいません。
少なくとも、自分はそうでした。描きあげた稚拙な絵に自惚れていました。
いわく、「これは俺にしかない作品だ」と。
自分で描いた絵を自分で褒める。なんと惨めな。
去年。自分の絵は稚拙なものだと思い知らされました。
「上手くはないけど、下手じゃない。絵の体裁はある」と自負していた力を、
「基本ができていない」と先生に一蹴されました。悔しかったです。
この日から初めて、デッサンの授業を通して「絵を描く」ということを学びました。
美しい絵を描くためには、直線と曲線を上手く引けること。
直線をきれいに引くには、手首を動かさず肘を動かすこと。
他にも、線を重ねていくことで影を表現する、ハッチングという技法。
模写で大切なのは肉眼ではなく、鉛筆等を用いた計測。
そういった、高校生でも理解している基礎を、大学生になってようやく知ったわけです。
脳
そういった過程を経た自分の絵は、
自分で言うのもおかしなことですが、少しばかり上達したように思えました。
肉眼で見たままを闇雲に写し取る方法では辿りつけなかった境目を、
基本の習得によって、いとも容易く跳び越えられたのは不思議なものです。
そこで初めて気づいたのは、今更ながら、「他者の模倣は悪くない」ということです。
かつては模倣を「他者に毒される唾棄すべき方法」と考えていたのですが、逆です。
模倣は、「他者の良い部分を取り入れられる、上達への近道」です。
他人が苦心して編み出し体系化した方法を、苦もなくいただいて、取り入れる。
それが上達の助けにならないはずがありません。
それでは独創性が死ぬのでは? 違います。
取り入れた方法を自分の中で融かし、そして融かしきったならば、
今度はその方法を自分なりにアレンジし、脱却してみる。
これこそが独創性の種となるものです。
しばしば言われていますが、「型を熟知しているからこそ型を破れる」のです。
今まで自分はその重い事実を、戯れ言だとして軽視してきました。
ILL-BOSSTINOも初期は、ラップの基本を踏襲していました。
岡本太郎も初期は、超現実ながらも写実的な絵画を残しています。
(彼は子供の描く、デフォルメや模倣のない絵こそ芸術であると主張していますが)
その他多くの人も、まずは基礎を十分に踏み固めて、
その後自分なりにその脱却を図って、独創性を作り上げました。
独創性は、他者と断絶すれば培われるものではありません。
なるべく多くの他者と交わり、数々の理論を消化し、そして脱却することで培われる。
今は、独創性というものの習得方法をそう考えています。
魔ロ
▲▽▲▽▲▽▲▽▲
Today's Word
▲▽▲▽▲▽▲▽▲
人ウ
「あらゆるものが一個の全体を織り成している。
ひとつひとつが互いに生きて働いている」
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
それでは。









